世界的ブランドのイッセイミヤケのデザイナー、三宅一生さんが2022年8月9日、肝細胞癌で亡くなりました。
早くもイッセイミヤケブランドを愛していた人たちから、「寂しい。すごく残念だ。」と三宅一生さんを惜しむ声が広がっています。
この記事では、三宅一生さんの若い頃の知られざる一面や家族(妻や娘)の現在、本名や経歴など調査してみました。
三宅一生【イッセイミヤケ】さんの若い頃
三宅一生さんの若い頃や生い立ちを知る人は、意外に少ないのかもしれませんが、幼少期の小学校1年生(当時7歳)のときに、被爆を経験した方でした。
当然ながら、被爆経験のない多くの若い世代でも、その経験がいかに壮絶だったかを想像するのは容易だといえるでしょう。
「原爆を生き延びたデザイナー」という目で見られるのを恐れたこともあり、この事実は三宅一生さんの口から、進んでで語られることはなかったのですが、2009年のニューヨーク・タイムズの中でこの事実が公表されたことにより、明らかになりました。
「心に浮かぶその色は、すごくいやな感じ」と語り、被爆経験者ということを隠してきた三宅一生さんでしたが、
「破壊されてしまうものではなく、創造的で美しさや喜びをもたらすもの」
を考え続けた結果、衣服のファッションデザインの想像へとつながった
と、明かしています。
皮肉にも、被爆経験が後に世界的一流ブランドとなるイッセイミヤケを生み出すきっかけとなったようです。
三宅一生さんが広島の原爆投下の日8月5日にお亡くなりになられたという事実も、なんだか数奇な運命だと思わざるを得ませんね。
三宅一生【イッセイミヤケ】さんの経歴
三宅一生さんは、1938年(昭和13年)、4月22日に広島県広島市東区に誕生しました。
1945年・・自身が7歳のとき、広島の原爆投下にて被爆
広島大学付属東雲中学校→広島県立広島国泰寺高等学校卒業(在学中はずっと美術部に所属)
→上京後、多摩美術大学図案科に入学(在学中の1961年と1962年に、装苑賞の佳作に値する賞を連続受賞)
・1965年・・パリに渡仏し、オートクチュール組合学校「サンディカ」にて勉強
・1966年・・ギ・ラロッシュのアシスタントを経て、後に、ジバンシィで出来上がった服を絵におこす仕事であるデシナトゥールになった
・1969年・・アメリカニューヨークに渡米し、既製服の経験を重ねる
・1970年・・三宅デザイン事務所設立
・1971年・・ブランド「イッセイミヤケ」を立ち上げる。ニューヨーク・コレクション発表
・1973年・・パリコレクションに参加
・1993年・・三宅一生の後の代表作となる「プリーツ・プリーズ」を発表
・1999年・・アメリカの雑誌TIMEアジア版で「今世紀で最も影響力のあったアジア人20人」に選ばれた
・2004年・・三宅一生デザイン文化財団設立
・2005年・・彫刻部門にて、高松宮殿下記念世界文化賞受賞
・2006年・・思想技術部門にて、京都賞受賞
・2007年・・東京ミッドタウン内に21-21DESIGN SIGHTをオープン
・2010年・・文化勲章受賞
・2016年・・フランスのレジオン・ドヌール勲章、コマンドゥール(勲三等)受章
・2022年・・8月5日、肝細胞癌にて死去
三宅一生【イッセイミヤケ】さんの本名
三宅一生さんは、ブランド名のイッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)を見ると想像できるように、「みやけいっせい」という名前と思っている人が大半なのではないでしょうか。
ですが、三宅一生さんの本名は、三宅一生と、漢字はそのままで読み方は、「みやけ かずなる」といいます。
少し珍しいお名前ですね。
三宅一生【イッセイミヤケ】さんの妻・娘の現在は?
三宅一生さんの家族の存在は、実のところあまり語られてこなかったので、不明な点が多いです。
今回の三宅一生さんの訃報(享年84歳)について、報道によると、葬儀自体も近しい人たちで行われたとのことなので、特に喪主が妻や娘、もしくは兄弟だったという記述も見受けられませんでした。
よって、三宅一生さんは生涯独身であり、家族は持たなかったのではないかと思われます。
三宅一生さんを検索すると、娘というキーワードが出てくるので、三宅一生さんが結婚して妻がおり、子供は娘なのかな?と想像する人もいるようです。
ですが、こちらに関しては、おそらく同じくファッションデザイナーの山本寛斎の娘である、山本未來さんのことを混同したたくさんの方が、検索してこのようにキーワードとして残っていると思われます。
三宅一生【イッセイミヤケ】のデザインしたもの
三宅一生さんが生前にデザインしたものは沢山あり、その機能的かつモダンで洗練されたスタイルは年齢を問わず、愛され人々のこころを魅了してきました。
前述にも出てきましたが、三宅一生さんの代表作ともいえる「プリーツ・プリーズ」シリーズは、一人ひとりの為の自由な服というコンセプトの元、着る人の体型を選ばず、なおかつコンパクトに畳んでも皺にならないという機能性。
その美しい布地は世界中でも指示され、2012年までに435万枚もの数が人々のもとに届いています。
三宅一生さんは、「イッセイミヤケ」ブランドの中で、洋服以外にも
香水やバッグ、バングル型腕時計やユニセックスデザインの腕時計のデザインも手掛けていたのですが、こちらもまた、すっきりとしたフォルムの中に、きらりと光る感性がデザインの中に反映され、使いやすいだけではなく、もはやアクセサリーやインテリアとして飾っておきたい。
そんなお品ばかりでした。
イッセイミヤケのデザインは、まさに芸術そのもの。
言う慣れば、身につけられる芸術品。
そんな素晴らしデザインを生み出す素敵な人材が、この世を去ってしまったのは、本当に残念で惜しまれますね。
ただ、三宅一生さん亡き後も、三宅一生さんが生み出してきたデザインは愛され、この世に残り続けます。
日本の宝、デザイナー三宅一生さんの残したもの、ずっと大切にしていきたいですね。